バンザイジャンプに心掴まれて

彼との出会いは、1980年代中頃、
中部選手権や全日本選手権モトクロス大会のエントリーリストに記載された『 松田 強 』という名前。

当時私は鈴鹿やSUGOなどの場内実況放送を担当していましたので、頭角を現してきた彼の名前を頻繁に呼ぶことになった。

そして彼と話をしたのはレース後のヒーローインタビュー。
笑顔が愛らしく、純朴そうで(本当に純朴だったかはさておいて^^;)、 土遊びが本当に好きな感じが伝わってくる、 小柄な彼のいったいどこに他者と競い合い打ち負かそうというパワーがあるのか不思議だった。

そんな彼も「栄光の赤ゼッケン」といわれた最高峰ライセンス・国際A級に昇格し、 スタンドは超満員というジャパン・スーパークロスに挑戦。

ファイナルレース出場を懸けた最後の予選・敗者復活戦で、決勝進出圏内に届かないとわかると、何回も何回も決めた大きなジャンプ。
小柄な彼が見せた特大の「バンザイ・ジャンプ」はスタジアムを埋め尽くした、満場のファンの心を鷲掴みにした。 もちろん私の心臓も止まるのではないかというくらいギュッと掴まれてしまった。

そのジャンプは決勝に出られないという悲壮感は全く無く、ただただ来場してくれたファンに「モトクロスってこんなにスゴイんだぜ! 俺もジャンプを楽しんでいるから、みんなも大いに楽しんでくれ!」って言っているようだった。

沖縄から、現状を変えていくお手伝いをしたい

いつしか彼も現役を退き、地元・沖縄に帰ってバイクショップを営んでいることは小耳に挟んでいた。
その彼と約2年前にSNSで繋がり、イマナゴ・オールスターモトクロス大会の話を聞いた。

「今度やりますから来てくれませんか?」という誘いを、断る理由は何一つ見つからなかった。
彼が語るモトクロスのこと、モータースポーツを取り巻く現状、何とか次代を担う人たちがモータースポーツを心底楽しめる状況を作っていきたいという熱い思いに、再び心をギュッと掴まれてしまったのだ。

相変わらず小柄な彼だが、抱いている大きな大きなことの実現に、私も微力ながらお手伝いできたら・・・

松田強さん、毎回行きますよ~(^^) あなたの気持ちが折れない限り。
折れそうになったら伸ばしに行きますからね。

いろいろな問題もひとつひとつクリアして、いつでも全力投球。

それがあなたです。

それが周りを巻き込んで、大きなうねりヘと変わっていくはずです。

みし奈昌俊(みしなまさとし)

  14914901_1211214728945426_923739411_n誕生:1959年3月27日 
出身:横浜市/名古屋市在住
血液型:RH+B
職業:2輪モータースポーツ・コメンテーター

大学在学中から鈴鹿サーキット場内の実況放送に携わる。
1982年後楽園で行われたジャパン・スーパークロスをはじめとして、
鈴鹿サーキット、スポーツランドSUGO、筑波サーキットなどで行われるロードレースやモトクロス、トライアルといった80年代、90年代の2輪モータースポーツ場内実況放送を担当。

その他、WOWOWの番組ワールドGPロードレースやドイツ・ツーリングカー選手権の実況や映画「F2グランプリ」「パッセンジャー-過ぎ去りし日々」やアニメ「風を抜け」の実況放送役。

F1世界選手権オフィシャル総集編(DVD/ブルーレイ)などのナレーション。
MOTO GP オフィシャルDVDの実況。パソコンゲームソフトのナレーション、イベント司会などをおこなっている。

2000年シーズンを持って、主要サーキットの場内実況放送からは退いているが、以降も毎年、世界GP(MotoGP)や鈴鹿8耐など、ロードレースやモトクロスのビッグイベントは取材で訪れている。